コーラン 下 岩波文庫 青 813-3のレビュー
初期の啓示
下巻はマホメットに下された初期の啓示が収録されています。上・中巻のように多くの章は散文調であります。しかし終わり頃になると短文になり、呪文のようになります。「外国語に訳された『コーラン』はすでに聖典ではなく、一個の俗書」(後記、339頁)かもしれません。それでもそこでの日本語は緊張感漂う神の言霊であるように私は感じました。それから井筒氏の素晴らしい翻訳だけでなく、「解説」も面白かったです。マホメットを社会革命的行為を成し遂げた指導者ととらえ、彼から見たイスラム教の歴史には、源流は共通であるとはいえ、ユダヤ教とキリスト教との差異を見ることができました。
著者の「解説」だけでも、買う価値がある3冊
上中下3巻を同時に購入し、まず上巻にある「はしがき」と「改訳の序」と「解説」を読み、次に中巻の「解説」を読み、そして下巻の「解説」と「改訳『コーラン』後期」を読んだのだが、これだけで実に合計45ページほどを占め、ざっと計算すれば400字詰め原稿用紙87枚分となる。
これらを読んだだけでイスラム教があらかた判った気分になり、内容が濃いのに非常に分かり易いのは著者が真実理解している証拠だとあたりを付け、井筒俊彦なる学者が何者かとウィキペディアで調べてみると、次のようにあったので合点した。
* ちなみに、語学的な才能に富んでいた井筒は、アラビア語を習い始めて一ヶ月で『コーラン』を読破したという。語学能力は天才的と称され三十数カ国語を使いこなしたとも言われる。司馬遼太郎は対談の中で井筒を評して「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と語っている。
イスラム教についての知識が皆無に等しい私でも、確かめたかった点が二つある。一つはイスラム圏の銀行は無利子らしいが本当か、ということと、一つは暴力を肯定しているのか、ということだが、前者は上巻の68ページに「アッラーは商売はお許しになった、だが利息取りは禁じ給うた」等とあり、後者は上巻の251ページに「だが神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい。」とあることが判った。
しかし、著者は下巻の解説で注意を呼び掛けている。
P.338 「学者は一字一句の解釈に自己の生死を賭した。(略)。一つの重要な文章がただ一つの解釈しか容れないことを万人が異議なく認めるという場合はむしろ稀で、大抵の語句については幾つかの違った解釈──しかも屡々あい矛盾する解釈──が提出されている。同一の語句が五通り六通りに解されることはざらであり、そのいずれに依るかによって訳もまた全然違ったものになる。」
P.339 「『コーラン』はアラビア語の原文でこそ聖典である。外国語に訳された『コーラン』はすでに聖典ではなく、一個の俗書であり、原文の一種の極めて初歩的な註釈であるにすぎない。」
マジッド・テヘラニアン氏は、「イスラムで武力に訴える行為は自衛の場合にのみ許される」と言っているが。
これらを読んだだけでイスラム教があらかた判った気分になり、内容が濃いのに非常に分かり易いのは著者が真実理解している証拠だとあたりを付け、井筒俊彦なる学者が何者かとウィキペディアで調べてみると、次のようにあったので合点した。
* ちなみに、語学的な才能に富んでいた井筒は、アラビア語を習い始めて一ヶ月で『コーラン』を読破したという。語学能力は天才的と称され三十数カ国語を使いこなしたとも言われる。司馬遼太郎は対談の中で井筒を評して「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と語っている。
イスラム教についての知識が皆無に等しい私でも、確かめたかった点が二つある。一つはイスラム圏の銀行は無利子らしいが本当か、ということと、一つは暴力を肯定しているのか、ということだが、前者は上巻の68ページに「アッラーは商売はお許しになった、だが利息取りは禁じ給うた」等とあり、後者は上巻の251ページに「だが神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい。」とあることが判った。
しかし、著者は下巻の解説で注意を呼び掛けている。
P.338 「学者は一字一句の解釈に自己の生死を賭した。(略)。一つの重要な文章がただ一つの解釈しか容れないことを万人が異議なく認めるという場合はむしろ稀で、大抵の語句については幾つかの違った解釈──しかも屡々あい矛盾する解釈──が提出されている。同一の語句が五通り六通りに解されることはざらであり、そのいずれに依るかによって訳もまた全然違ったものになる。」
P.339 「『コーラン』はアラビア語の原文でこそ聖典である。外国語に訳された『コーラン』はすでに聖典ではなく、一個の俗書であり、原文の一種の極めて初歩的な註釈であるにすぎない。」
マジッド・テヘラニアン氏は、「イスラムで武力に訴える行為は自衛の場合にのみ許される」と言っているが。
イスラーム学のパイオニア井筒俊彦訳の『コーラン』-下巻
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無神論者からムスリムへの第一歩
9・11テロでビンラディンに興味を持ち、彼らテロリストを通してイスラム教に関心を持った僕はビンラディンに関する本と共にこの「コーラン」を手にしました。この日本語訳の「コーラン」を声に出して読み進んでいく内に真剣にイスラム教を信じようと云う気持ちが沸き起こってきました。無神論者だった僕にとって此れは驚きの体験でした。宗教なんて糞食らえと思っていた僕がアッラーの前に立たされて自分の傲慢さを恥じるようになったのです。(但し、キリスト教や仏教など他の宗教に対しては今も、いや今まで以上に糞食らえと思っています。)イスラムに対してだけはそのような悪感情を抱くことが無くなりました。不思議なことです。この日本語「コーラン」が将来本物のコーランを読む礎となればいいと思います。
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